マイルス・デイビスを見た日 [Jazz]
後にも先にもたった1回だけ、マイルス・デイビスのステージを見たことがある。
その頃私も友人達も若かったので、マイルスといえば、ジャズの帝王、いや神様、いやいや生きている世界遺産、くらいにあがめていたので、ライブの日を心待ちにし、私達の期待は高まっていった。
いよいよコンサートの日、ものすごい拍手と歓声に迎えられてステージに現れた帝王マイルスを見て、私達は息を飲んだ。
そこにいたのは夢にまで見たかっこいい帝王ではなく、足元もおぼつかないよろよろの痩せた男で、ほんとにマイルス?と疑いたくなるような姿の彼だった。
私達はお互いに顔を見合わせ、何か見てはいけないものを見てしまったような、気まずい空気が流れていった。
音は確かにマイルスの音だった・・・・。
しかし、観客のほとんどは「大丈夫だろうか、最後までプレイできるのだろうか?」という心配に、気持ちを支配されていったように思う。
私達も同様で、その夜彼が何を吹いたのか、セットリストはおろか、今思い出そうとしても曲名が1曲も思い出せないのだ。
こんなライブはこれが最初で最後だった。(今のところ・・・)
たいていのコンサートでは、良ければどこが良かった、誰が、曲のここが、などとぞろぞろ出てくるし、悪ければ同じように誰のどこがどう悪かった、と出てくる。
最悪で忘れてしまいたい場合でも「金返せ~」くらいは思い出せるのだが、あの夜のことを考えると、言いようのない不安感だけがよみがえってくる・・・・。
最近になって知ったことだが、あの日のマイルスはおそらくマイルス史上、体調最悪のライブだったらしい。
長らく健康がすぐれなかったマイルスはアメリカで足の手術を受けたが、予後が悪くなんと車椅子に乗って来日していたそうだ。
もちろんステージ以外は車椅子での移動だったらしい。
今になれば「そんなムリまでして、来てくれたのか・・・」と、感動もするのだが、当時は誰一人そんな事情は知らなかった。
アンコールの時、マイルスは両脇をアル・フォスターとマーカス・ミラーに支えられ、やっと立っている、といった状態でステージに出てきた。
私達は、またまた気まずい思いで、拍手をしながら、心の中では「もういいよ、もう帰って休んでくれ~」と叫んでいた。
ぎっしり入っていた観客たちがぞろぞろと会場から帰路についた。
誰もしゃべらなかった。
みんな思っていることは同じなのだ。
あの帝王の見てはいけない姿を見てしまったのだ。
私達は一様にうつむいて、会場を出た。
誰かが「麻薬て、怖いな。」とぽつりと言った。
そこにいたみんなが無言で同意した。
私達は無言のまま、黙々と駅を目指して歩き続けた・・・・。
あの日のことを調べようとして、検索をかけても、何一つヒットしてこなかった。
ようやく、アル・フォスター関連のHPで数行見つけた。
みんな、今でもおんなじ気持ちなのかもしれない。
hirosonya さん、こんにちは。
なんだか、貴重と言うか、何と言うか、複雑な経験でしたね。
いい意味でも、悪い意味でも、忘れられないライヴって、ありますよね。CDを聴いているだけでは、絶対に味わえない、何か、いま、そこに、その場所の空気の中に、自分がいる感じを味わいたくて、ライヴ通いを続けてしまいます(私の場合は、主にクラシックなのですが)。
マイルスは、私も一度見てみたかったな。
by (2007-06-13 15:51)